生産地の概要

土山茶(滋賀県甲賀市土山町)

土山茶は、室町 文和5年(1356年)、常明寺の僧純翁が、京都の大徳寺から茶の実を持ち帰り栽培したことが始まりとされています。栽培が盛んとなったのは、それより300年後の江戸時代に入ってからで、永雲寺の僧天嶺が茶を広く栽培し、村人や旅人の飲料として分け与えたものが「あけぼの茶」として有名になり、これが土山茶の礎となっています。

土山町はかぶせ茶の生産が盛んで、一番茶では生産量の約15%を占めています。近年は直掛け被覆が主体ですが、被覆棚も多く見られます。

全国や関西の茶品評会では、何度もかぶせ茶の部で農林水産大臣賞を受賞している産地です。

土山は、『坂は照るてる鈴鹿は曇るあいの土山雨が降る』という馬子唄や安藤広重の東海道五十三次で雨の風情が描かれたことからその名が知られています。

朝宮茶(滋賀県甲賀市信楽町)

朝宮茶は、その栽培の歴史は全国でも最も古く、今から1200年前の805年、伝教大師 僧最澄が中国(唐)より茶の実を持ち帰り、朝宮の岩谷山に植え、815年年に朝廷へ献上するために始まったとされています。

日本五大銘茶の産地の一つに数えられる朝宮茶は、標高300から450mの山間傾斜地で栽培される茶は、独特の香気を醸し出し、全国から高い評価を受けています。

関西、全国茶品評会煎茶の部で何度も農林水産大臣賞を受賞している産地です。

俳聖 松尾芭蕉も何回となく朝宮を訪れ、『木がくれれて 茶摘みも聞くや ほととぎす』を詠んでいる。

日野北山茶(滋賀県蒲生郡日野町)

 日野町の茶栽培は室町時代に始まるといわれており、1533年、後奈良天皇に茶を献上し「旭山」という勅号を賜りました。江戸時代の寛文年間になって、後水尾天皇に茶を献上したところ、喜ばれ「朝日山」という勅号を賜りました。以来、日野の茶は「朝日山」と呼ばれるようになりました。

戦国大名で文人でもあった蒲生氏郷が日野城主であったころ、茶の湯に若草清水を用いたといわれています。

氏郷は「利休七哲」の筆頭に挙げられ、千利休に師事し、侘の茶道に傾倒したといわれています。